ウーバーイーツ配達員には清潔感は必要なのかということ

 

ウーバーイーツの配達員に清潔感のルールがないというように糸井重里氏が発言してそれが話題になっているようです。

 

ルールがないので本当に配達員のみなさんは自由にしているように見えてしまいます。配達している人が少ないうちはそんなに気にならなかったのですが、昨今では街中で配達員を見かけることになりいろいろと気になることも出てきてしまっています。

 

正直、こんなことで炎上する方がどうなの?と思ってしまいますし、これは微妙だと思えるようなシーンをたくさん見てしまっています。

 

あまりにも自由すぎるシステムもどうなのか、でも一つ一つの金額が安いということを考えると仕方がないところもあるのかなと非常に微妙なところです。

 

 

安いのに頑張っているからいいというのは論外

 

ウーバーイーツは食べ物を運ぶのが商売です。
その運んだ食べ物を食べて何か問題があった場合、配達員ではなくお店が問題ということになるのでしょうが、それでも配達の際の衛生要素で問題があったら大変なことになってしまいます。

 

注文した人もそのお店を信頼して注文しているだけで清潔感がない人に持ってこられるとちょっと次回から頼むのを辞めようかと思ってしまいます。

 

誰でも配達員に参加できるかわりに、一人一人の配達員の質はバラバラになり、素晴らしい人もいれば清潔感もないひどい人もいるというのは現状だと思います。

 

清潔感がなくても頑張っているからいい、その人は大変な労働者だからいいなんてことは全く論外の話で、別次元のものです。少なくとも配達員としてふさわしい恰好でないと人によってはかなり不快感を得るものになってしまわないでしょうか。

 

全員一律の制服である必要はないけれど、見る人に不快感を与えない程度の恰好する、見た目も不潔でないことをするというのはある意味接客業に入る業態ですので常識的なものとして準備してほしいものです。

 

 

 

嫌ならば使わなければいい

 

嫌ならば使わなければいい、だから余計な指摘をするな。
このような理論を使ってくる人もいますが、何を言うかもまた自由であり、使わなければいいで済む話ではないようにも思われます。

 

気持ちよく配達してくれる人もたくさんいるわけで、一部の人の見た目や配達方法に問題があるわけで全体のレベルが上がってくれることはいいことです。

 

しかもここまで街中で見かけるようになるとやはりその見た目も第三者も意識してしまいますよね。店の中で食べていて配達員の人が汚い恰好で受け取りにくると、なんだかもう少しまともな恰好ができないものかと思ってしまいます。

 

そして街中で走っているのを見るのも同じです。街中では見た目というよりも危険運転の方が問題かもしれません。なるべく効率よく配達してお金を稼ぐゲームになっているというのはわかりますが、それと引き換えに危険な運転になってしまっている人を多く見かけます。

 

結局なんでも行き過ぎてしまい、ウーバーイーツは配達員の質が悪いとなると全体的に注文する人も減ってしまい、配達員やウーバーイーツ本体側も損をすることになってしまいます。

 

このような話を使わなければいいで片付けるのはやはりちょっと違うのではと思うのです。

 

 

 

別に最高のレベルを求めているわけではない

 

このような話をするともの凄い高いレベルを給料の安い配達員、正社員でもない配達員に求めすぎたという人もいるかもしれません。

 

ですが、決して最高のレベルを求めていてそうでなければ許さないというわけではないんです。

 

ピザの配達だって同じようなもので特別に優秀な人が配達しているわけではありません。ただ制服を着ているだけです。ですがピザの人が特別な悪い運転をしていたとか、顧客ともめた等の話はほとんど聞きません。(実際には起こっているのかもしれませんが、少なくとも大きな話題になるほどではありません)

 

それと同じレベルを目指すということ、なんでも自由にではなく、少しでも清潔な恰好をして、無茶な運転をしない、丁寧に接する、信頼されない行動は取らない、そういうことの積み重ねでサービスは良くなっていくものです。

 

この当たりが発信側と受け手側でズレている話のようにも思えます。

 

 

 

SNSの発言は荒れすぎ、深読みしすぎ

 

今回の発言にはかなりのコメントがついていますが、内容を極端に深読みしすぎで荒らしてしまっている感を感じます。

 

「ひどい労働条件なんですよ」「現実が見えていない」「本質的には差別発言と同じ」
「どこから目線なのか」

 

こういうコメントはあまりにも深読みしすぎであり、むしろ逆にコメントしている人達の方がケンカをしに行っている、火をつけに行っている感を感じてしまいます。

 

服装が清潔かどうかという話をしているだけであり、貧困とか労働条件とか上とか下とかは関係ない話です。

 

別にきれいな服の一枚も用意できない人が無理して働いているわけではないでしょう。
いくら貧困だといっても日本でウーバーイーツを配達している人で、きれいな恰好すらできないなんてことはありえません。

 

お金をかけろではなく、汚れた恰好、汚く見える恰好をしない、さわやかな配達を心掛けるだけのこと。

 

議論の方向性が何か最初から違っているように思えます。

 

なんでもかんでも深読み、ケチをつけているのではSNSは荒れ放題になりますし、もう少し平和的に対応するクセをつけた方がいいのではないでしょうか。

 

本当のところの意図はわかりませんし、どのようなつもりだったかはわかりませんが、こんなことで一つ一つ炎上していたのではいけないのではと心配になってしまう出来事です。


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